型は死物じゃ!

とある合気道七段(当時。あれから10年は経ってるから、今はどうだろう?)から伺った話で、合気道開祖植芝盛平は「型は死物じゃ!」と言っていた、と。
合気道の稽古は限定された状況で行われ、見本の動作を追うことにとらわれやすい。しかし、外見的な動作ではなく、その本質を追求せよ…て話だと思うのですが。
あと、『人間はそれぞれ違うのに、それを無視して同じことをしても同じようにはならないよ?』てのもありまして。
お陰さまで、武術・武道の型を見るときに『これは何がしたいのか?中心となる核は何だ?』というのが気になるようになりました。
(合気道の型稽古と空手や中国武術の型には根本的な違いがありますが、それについてはまた日を改めて書くことにします。)

さて、先日の東京練習会で他の八極拳と見比べた訳ですが。
個人的な感想としては「どれも八極拳だなあ。」と。
それぞれの技法群を果実だとして、表皮や果肉、種すら違っても柑橘系は柑橘系。ミカンもあればレモン、柚、八朔、グレープフルーツ等もあります。
その時、その場、その種に応じた変化の積み重ねがそれぞれの進化を生んだのでしょう。
それが流派というものかと。

同じ流れの中にあっても、K先生とA氏、I氏の小八極拳だってそれぞれに違います。
その練習の目的、練度、習熟度による違いもあるのでしょうが、個性の差もあるに違いません。
どれも間違いではなく、自らの最適な在り方を目指している現段階の姿なのだと思います。

それぞれから教えてもらった身としては、一緒に練習する時は相手に応じながら、一人の時はそれぞれを試しながら現時点での自分なりの最適な姿を模索する日々です。
それを間違いとも思いません。
結局強くなるのは自分自身であり、教えを受けるというのはその一助として先人のお知恵を拝借することだと思ってます。

昨日の練習会で小八極拳学習中のN女史が「皆言うことが違うので(何が正しいのか)判らない!」と言ってましたが…私なら「どれも間違いじゃない。そして貴女にとって最適な練習は、先生や先輩から知恵を借りれても、結局自分で探すしかない。」となりましょうか。

…人を突き放してますかねえ?

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Commented by ゆみ at 2018-05-01 20:31 x
大丈夫です。彼女は学ぶときまず自分のキャリアは横に置いて、教える人の言葉を素直に受け入れ、その中で自分が強くなる方法に趣旨選択して構築していってるようです。
あれだけの実力がありながら、学ぶ時まず素直に受け入れられる姿勢は、本当に教わり上手で、あれも彼女の才能だと思う今日この頃です。
Commented by 100Hoshikage001 at 2018-05-02 15:08
ゆみさんへ

確かに。
先生方に好かれる所以ですかね。羨ましいったら。
Commented by 石岡のOより at 2018-05-02 20:36 x
台湾の偉いR師は形不正、法不存と私の先生に伝えられました。形が正しくないと方法は存在しないという意味だそうです。何故その形でないといけないのか?他の形だと武術上不都合なことが生じるのか?を考えて練習しています。
Commented by 100Hoshikage001 at 2018-05-04 11:00
> 石岡のOよりさん
中国武術の形は中身を導くものだと思います。したがって形が正しくないと中身も正しくない訳ですが、いろいろ見ていると中身の発露としての変化や、新しく工夫を加えるための変化もあるようですね。戦闘に対する考え方が違えば重視する鍛練方法も変わってくるのでしょう。心身が変われば使える戦略・戦術も変わってきますし。

私にはどれが『正しい・正しくない』と判断はつきませんし、おそらく無理に決めつけても偏見にしかならないので、自分の信じる道を歩むしか手がないです。
ご縁と努力、試行錯誤と鍛練で上達するんじゃないか…て考えてます。今のところ。
by 100Hoshikage001 | 2018-05-01 13:04 | 武道・武術について思うこと。 | Trackback | Comments(4)