気の話 その4

まだ十代の頃、荘子を読んでみまして。
先日の自主練習会後のお茶の時に、荘子にこんなのが有ったなあ、と思い出し、ネットで探してみました。

南海之帝為儵,北海之帝為忽,中央之帝為渾沌。儵與忽時相與遇於渾沌之地,渾沌待之甚善。儵與忽謀報渾沌之德,曰:「人皆有七竅以視聽食息,此獨無有,嘗試鑿之。」日鑿一竅,七日而渾沌死。 

南海の帝と北海の帝が、中央の帝である渾沌の地で会う。渾沌が善くしてくれるので、お礼をしたいと話し合った二人は「人間には七つの穴があり、それで見て、聴いて、食べ、息をしている。渾沌にはそれがひとつもない。お礼として穴を開けてあげよう。」ということになった。
一日にひとつずつ穴を開けると、七日目に渾沌は死んでしまった。

これをどう解するのかはいろいろあると思うのですが(物理学者の湯川先生のは面白いですね!)、私は『知覚という枷を与えることにより、渾沌という現実・真理を見えなくしてしまった』と解しました。
人は知覚により物事を知るわけですが、それで感知できないものは想像で補っていると思います。
ところが知覚できること、そこから想像できることには人間ゆえの限界があり、我々は実は知らないことだらけの海に放り出されていることにも気づかない。
未知の事象に人間の思い込みを投影させて解った気になり、現実・真理を曲解してしまう。
南と北の帝がそれぞれ極々短時間を表す名前なのも良いですね。「浅慮」「思いつき」「人一人の人生の時間」の暗喩でしょうか?


「気」とは何か?と探る試みは、気という渾沌を分解して、取り出した構成品に名を付けて整理し、解ったような気になるだけの行為なのかも知れません。
結果として渾沌を殺してしまわなければよいのですが。

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by 100Hoshikage001 | 2018-05-29 20:07 | 気の話 | Trackback | Comments(0)