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感覚化、そして身体

どんなに凄い技を学んだとしても、それを使えなければ意味がない。
そして、使うためには「感覚化」が必要だと思っている。
感覚化、と勝手に名付けているが、要は「あれこれ考えずに咄嗟に出来る」ことと、「日常と運用・緊急時でモードを切り替えるスイッチが、感覚としてある」こと。
よく斬れる刀を持っていても、斬ることが自然になるくらい慣れなくては使えない。だからといって刀をすぐ抜く狂人では困る。かといって抜くべき時に抜けなくては、やはり意味がない…。
では具体的にどうするのかと言えば、技を練るのはもちろんだけど、日常的に身体を整え、心を整え、よく耳目を清まして周りをよく知り、今必要なのは何かと悟る…そんなことから始まる…のでは?全然出来てないけど。(^_^;)

何やら禅問答臭いが、武道・武術を練るとはそういうことだと思う。

つづく。…かも?(^_^;)

by 100Hoshikage001 | 2018-12-25 20:11 | 武道・武術について思うこと。 | Trackback | Comments(0)

背中に何かがある

寝起きに小開門拳をやると、耳を済ますとクコココ…と背骨が小さく音をたてるのを聞くことがある。
太極拳の単鞭や逆雲手をやると、背骨のある場所が気になる。
大正時代に通背拳を学んだ日本人としてはパイオニアの人に、とある人が聞いた話では、通背拳の発勁は背骨の何番目かの骨から出るとのこと。
K先生は土勁という話をされる。
背骨には何かがあるらしい。
背骨の気になる場所を使って猛虎硬爬山をやってみると、臍下丹田を意識してやるより短く早くできる気がするが…実際はどうだろう?
ともあれ。
背中に何かがあるらしい。

by 100Hoshikage001 | 2018-12-06 22:18 | 武道・武術について思うこと。 | Trackback | Comments(0)

滾、鑚、挣、裹

八卦掌の手の動きの基本は「滾、鑚、挣、裹」だそうで。つまりは内旋です。
で、これが私は苦手。
以前書いたように合気道は劈と衝で構成されるのですが。
そこから描く円・螺旋は小指側から切り下ろすように生じるわけで。いわゆる外旋ですね。
その逆、つまり内旋は無いわけではない…というか実は重要な螺旋として存在するのですが、深く内旋するわけではない。
八卦掌はその内旋を基本としているのですね。

内旋すると狭い意味での肩関節はロックされ、それを無理に遠くへ伸ばそうとすると胴体に余計な付加が掛かる。
I女史によれば「ぎっくり背中」になるそうな。
自然と手は遠くに行かず…そうなれば相手にかなり接近しなくてはならない。
間合いの感覚が、私が今まで知らない世界に入っていくんですよね。
わたくし、新しい扉を開かねばなりません。
さて、鍵穴を探しに行きますか。

by 100Hoshikage001 | 2018-12-04 21:22 | 武道・武術について思うこと。 | Trackback | Comments(0)

拳・剣・圏

合気道や中国武術には、武器技が伝わっています。
比較的古い武術・武芸には体術と武器術が併伝されることがある…というか、銃や火器のない昔は武器をもって戦うのが普通だったのでしょう。素手は武器を持ってない時にどうするか、という二次的な扱いだったのかもしれません。
自然と武器と素手の理論・発想が似てくるのでしょうね。

「合気道は剣の理」という言葉がありまして、「(体術に)迷ったら剣を振れ」という人もいらっしゃったとか。
武器技と素手の技は全く同じではない、とは言うものの合気道の代表的な技のひとつである四方投げは100%剣の動き、とも言われます。
剣の動きを大別していくと、突くことと斬ること…中国武術風に言えば衝と劈?になっていく訳ですが、それにより投げや関節技が極るのは考えてみれば興味深いことです。
中国武術の形意拳には劈拳という基本の技がありまして、「斧で劈(叩き割る)する動作」と説明されたりします。
この技にも打つ以外に投げる・極めるといった用法があるそうで。
斬る(劈)という動作は応用範囲が広そうです。

何故、劈は応用範囲が広いのか…それは円運動だから。と、私は考えています。
いや、より正確に言おうとすると、螺旋運動だから、かな。
点で目標を捉える突きと違い、円・螺旋では線や面で相手を捉え、時に相手の動きのポイントを制し、時に誘導し、時に打撃を与える。
大変重宝します。
この劈の考えを更に進めて、幾つもの線と面の複合体のような立体構造(仮に『圏』としましょう。)にできないか?身体の動き全体を螺旋にすることは可能だろうか?
…普通はそんな発想をしても実行には移さなそうですが、中国の人の中には実行した人たちが居るんですね。
そして纏糸勁が生まれ…中国独特の技術体系が存在すると私は思ってます。

さて、その圏ですが、同じ中国武術でも、かなり違いがあるのではないか、と個人的には思ってます。
それは八極拳という門派の中でも違いがあって、線や面を多重・連続して使い相手を圧倒しようとするのを主とするものと、線や面を使って相手の攻撃をすり抜けながら衝をするのを主とするものがあるのでは、と。
前者は呉氏や長春、後者は武壇がそれにあたるのでは、と…。
考えすぎですかね?

ともあれ、拳・剣・圏は一体のような気がするのです。

by 100Hoshikage001 | 2018-12-02 21:10 | 武道・武術について思うこと。 | Trackback | Comments(0)

剣指

滅多にお会いしない兄弟子I氏(この二年で一度だけお会いした)に八卦の基本を教わった時、その指先にある種の感銘を覚えまして。具体的に書いていいものかどうか解らないので細部は伏せますが…剣指に少し似てる。

唐突に話を変えるようですが、拳を握ってみましょう。
次に、その拳を脈部側に曲げようとすると…あまり曲がりませんね。
続いて、人差し指だけ立てて、同じことをしてみましょう。
おそらく、大概の人は拳を握った時よりも脈部側に曲げられたはずです。このことは多くの示唆に富むのですが、それらをひとまず置いといて。
M氏がその先生に、『人差し指は前腕の骨の延長線上にある』と言われて納得したそうですが、私は延長線上にあるのは剣指…すなわち人差し指と中指だと思います。
そして、前述の八卦の手は、剣指に似ている。
実に深いなあ…と感心するのですが、他の人に話しても「はあ?」という反応が帰ってきます。
私がおかしいのでしょうか?(^_^;)

ともあれ、昔のジャッキー・チェンの映画で、口論中の指先が剣指でした。中国人の文化的に剣指は当たり前なのか?興味あるところではあります。
中国の風俗にも詳しそうなK先生に、今度聞いてみようかな?

by 100Hoshikage001 | 2018-09-13 22:54 | 武道・武術について思うこと。 | Trackback | Comments(0)

七順・七逆

突きの力(勁?)の伝達順序を表したような言葉に、いつ何処で読んだか覚えてませんが、七順というのがありまして。要は足から始まった力は膝・股関節・背骨・肩・肘・拳の順序に進んでいく、と。
合気道の固い稽古の中には、言わば七逆…手から始まって足に至るように自由を奪おうとするものがある。
大東流ではその応用のようなもので、頭部に仕掛ける技法がある。
今日体験した技法は更に奥には入り、神経系を攻めるのかも。
所詮は仮説なので、妄想と変わらないけど。(^_^;)

手首から肘へ掛けての筋肉の収縮は体感としては知ってたけど、あまり有効とも思えないので放置してた。彼らは、そこを敢えて攻めるのね。

人体一つに対して、いろいろなアプローチがあるものだなあ。
理科の実験的ワクワク感があって、楽しい。

by 100Hoshikage001 | 2018-07-22 22:21 | 武道・武術について思うこと。 | Trackback | Comments(0)

上に行く技、下へ行く技

1年くらい前に、合気道の白帯の人に聞かれたことがありまして。その内容は「技は多くを覚える方が良いのか?少なくて良いのか?」

合気道開祖のお弟子さんに習った技をメモする人が居て、ある時、習った技を数えたら2000を越えていた。
なのに、どれひとつ自分のものにしていない。
ガッカリしたその人は、基本的な技をみっちりやることにした。その結果、習ってもいない技が出たという。

この話をすると、だいたいの人は「基本の大事さを説いてるんですね。」という。
それも間違いではないのだけれど、私は上に行く技と下へ行く技がある、とも考える。

中国武術はどうか解らないが、合気道の原理はそれほど多くないと思う。自分なりに整理すると、三柱五段階…3×5、つまり15種類知っていれば、そこらの道場では苦労しない。
更に絞りこんでいくと、三柱一階、つまるところ三種類の技からの派生でしかないのではないか?とすら思う。
この三種類を源流として、上流から下流へ流れる川のように幅が広くなっていく。つまり技数が増える。

いろいろな事態に対応しようと技を増やすのは結構だけど、その技ひとつにつきひとつの事態にしか対応できないなら、無限に技を覚えて無限に練習しなくてはならないのか?
対応範囲の広い、少数の技を練習して武器とし、その場その場での対応変化は、経験値を稼いで臨機応変な対応を身につける…そっちの方が現実的では。

私はそういう考え方をする人なので、技を習うと「この技の上流はなに?下流はどう変化する?」というのが気になる。
(ちなみに現時点では、今習っている中国武術の最上流は烏龍盤打と突き、それに伏虎だと思っているからこれらの練習はなるべくやるようにしている。)

私が練習中にブツブツ呟いたり考え込んだりしているときは、それらを考えてるときなので、気持ち悪いでしょうが優しく見守っていただけると嬉しいです。m(__)m

by 100Hoshikage001 | 2018-07-16 21:50 | 武道・武術について思うこと。 | Trackback | Comments(0)

0.5の入り身

「突く前を0としよう。突いた瞬間が1。0.5で入れ。」
そう言われたのは、思い起こせば20年以上前。
合気道の練習中…最近は「入り身突き」と呼ばれる技を先輩に習った時のことでした。
『…それが出来たらプロボクサー苦労しないよね~。』とは内心思ってたんですが…確かに出来たら理想形。

…20年以上が経ち、もう一度向き合う時が来たなあ。
踏み込みの練習をしつつ、苦笑しちゃう。

ランプを点灯させた瞬間に突く。その際にかかる時間は?という実験があるそうで、0.2秒台で反応出来たならトップアスリートに並ぶんだそうな。
自動車の教習所で習うとおり、人間は反応するのに0.2秒掛かる。
相手の拳が最短・最速で動く時、その動きだしを待っていたら、絶対に間に合わない。
ゆえに前兆を読もうとする訳だが、それゆえにフェイントが有効になる。
虚実入り交じった攻撃を、射程内で受ける…だから、ボクシング経験者に聞くと、「ジャブは絶対避けられない」という。
武術の場合、嵌めることにより間を稼ごうとする技法がある。
知る限りで有効な方法は、最低でも1.5掛かる。しかも磨盤歩が使えないと威力はない。
0.5にならない。

…どうすんだ?

踏み込みの練習に終わりはないんだろうなあ。

by 100Hoshikage001 | 2018-06-21 20:37 | 武道・武術について思うこと。 | Trackback | Comments(0)

何とはなしにYouTubeを見ていて太極拳の動画を見つけた。https://youtu.be/a6_ztGYrxpI
中国でも知られた太極拳家が、テレビ番組らしきものの中で単独動作とその用法の一例を紹介している。
なるほどねー、そういうやり方もアリか…とか、合気道のあまり見せない技にかなり似ているものもあるなあ…とか勉強になった。

ところで彼らの型に迫力や一種の機能美のような印象を受けるのは、やっぱり用法とか力の出し方を知ってて使えるように練っているからだろうなあ、と。
合気道の演武を見ていても、「あ、この人それを知ってるんだ」とか「知らないけど型だけ真似したな」とか思うことがある。外見だけ真似しても、刀や足の向きがふらつくようではやっぱり知らないんだな、普段稽古してないんだな、と思わざるを得ない。結果として機能美は損なわれてる。

空手や中国武術、合気道の型の練習がどう進むのか、と考えてみると…
1 動作をだいたい習得する段階
2 動作が要求していることを正確に習得する段階
3 動作を繰り返すことで身体を慣らしていく段階
4 動作に負荷を掛け、強化していく段階
5 動作の意味を知る段階
6 動作が有効に使えるように対人練習をする段階
…があるようで、更には応用や工夫による変化へと繋がって行くのでしょう。なお、上述の段階の順番は取り組んでいる武の性質や指導者の方針により変わり、同時進行する場合も。

演武をすると、その段階の何処にいるのかというのがばれてしまったりする。先生や先輩方は、それに対して生徒や後輩がどう取り組んでるかを見てとれる訳で…演武って、怖いなあ。

by 100Hoshikage001 | 2018-06-09 09:54 | 武道・武術について思うこと。 | Trackback | Comments(0)

技を作れ

合気道開祖は「技を作れ!」と言っていたそうです。
そういえば故斎藤守弘先生も講習会の武器取りで「私が開祖に教わった基本はこれ。後は自分で作りなさい。」とか仰っていたような。
経験とセンスが問われます。

劉雲樵老師にお会いしたことはありませんが、どうやら型の使い方を教える時は先ず自分で考えさせたみたいですね。
この場合は記憶に定着しやすいやり方を選んだのかも知れませんが、それでもやはり経験とセンスが問われることでしょう。

私の合気道の先生は、開祖に「(技が)出来ました。」と報告に行くと、「どれ。(掛けてみなさい。)」と腕を出されたそうで。
で、掛けにいくと、「ん?これか?」と返されてぶん投げられたそうな。
なので先生は「大先生は『技を作れ』と言っていたが、誤解している人が多い。開祖についていけば良いんだ。」と言ってました。

でもね。
私みたいに直接開祖に触れたことのない者はどうついていけば良いのでしょう?
先生は開祖の内弟子として一緒に生活していた人だから、何度も挑み、その度に技を掛けてもらえたでしょうが…会ったこともない我々は、自分の先生から教えられたものだけを墨守すれば良いのか?

人は他人に全てを渡すことは出来ないと思うのですが。劣化コピーを繰り返すと、いずれ原型が解らなくなるのでは?
…こういった話を直接先生にしたことが実はあるのですが(今考えると大変失礼なことをしたような(^_^;))、先生黙ってしまいましたね。

私は、原型を研究する必要がある、と考えてます。
同時に、実技としての検証・研究も必要だと。
研究とまでいかないまでも意識しておかないと、何処へ行くか判らなくなりそうで。
中国武術においても、それは同様なのではないでしょうか。

まあ、中国武術を月1回、一時間学ぶ程度では一生理解出来なさそうな気もしますが。(苦笑)

by 100Hoshikage001 | 2018-05-05 08:16 | 武道・武術について思うこと。 | Trackback | Comments(0)